2011年5月15日日曜日

ティゼ・シンギング

Taize Singing と書きます。皆で集まって無伴奏で歌います。多分賛美歌の短いやつ。ソプラノ、アルト、テノール、バスに別れて座り歌詞つき楽譜を見ながら、楽譜ったって短い曲ばかりなので二段くらい。昔の英語とかスペイン語、多分ラテン語などいろいろ。一つの曲を延々繰り返す。歌う瞑想みたいな感じ。

ティゼ・シンギングに接したのは英語コースのプログラムのしょっぱなで毎週日曜に開かれる会に参加。授業開始の前日、初めてザ・パークに行った時で右も左も分からない。しかも歌うの苦手。聴いてりゃいいのかな。え、歌うの。楽譜、ハイ見ますけど。輪になって座って。私はソプラノです。中学の時に音楽の先生に言われた、あなたは声がキンキンしているからソプラノよと。もう一生ソプラノ死ぬまでソプラノ。
その日は60〜70人くらい。リーダーがいて音の高さを手で示しながら歌が始まりました。口パクで皆に合わせるふりをしていたら5分もたたないうちにどういうわけか悲しい気持ちになり、10分後には落涙そのうち嗚咽。あの自分の激動ぶりは忘れられません。感動ではないのです。何かを思い出したわけでもなく、大勢の声の渦の中にいたらとにかく悲しくて、まるで誰か大切な人の葬式に出ているような気持ち。やがて鼻水が大変なことになり、最初のプログラムを途中で逃げ出すというかつてないことをやらかしました。
しばらくすると先生が来てくれて、階段の下でずっとしゃくり上げていた私をハグしながら「よくあることだから心配しないでいいわ。ティゼ・シンギングは人の心を動かすものだから。」と言ってくれました。オイオイ泣くとはこのこと。

さて困りました。普段から涙もろい方ですが理由もなく号泣とは。今後、発作的にこうなるかもしれない自分をどうすればよいのか。恐るべしティゼ・シンギング。
偶然同じ日の夜に、自由参加の「ハーモニック・テンプル・シンギング」というプログラムがありました。ふとこれでもう一度号泣してはどうかと思い立ち、行ってみました。何もしないままだと寝るのも不安だったのです。するとどうでしょう。朝のよりは少し高度な合唱だったのですが、声を出すことがこんなに楽しいと初めて気づきました。人数は半分くらい、それでもたくさんいるので自分が音痴とか全然気になりません。とにかく皆さんについて行くのが楽しい。これが同一人物とは自分でもびっくり。おそらく少しは楽譜が読めて音程を確認できるという自負心を、いい具合に満足させるものだからです。

しかし英語のコース一ヶ月間は、ハーモニックには喜んで参加したけどティゼには怖くて行けませんでした。人を動かす力が強いような気がしたのです。それにわざわざ日曜にバスに乗ってまで。シャトルバスは日曜は休み。有志を6人以上募り、かつボランティア運転手がいないとバスは出ません。でも毎週、結構な人数が参加希望しているみたい。
働くコースになって最初の日曜、号泣した日以来初めて行きました。自分にとっての鬼門が一つ消えるかもしれない。

かくて現在、日曜朝のバスとボランティア運転手の確保に奔走する私がおります。この頃は子音と母音の組み合わせと音の高さが自分にマッチした時、自分の声が遠くまで響くのがわかるようになりほぼ生き甲斐に。基本は音痴なので音程はフラフラなんですけどね。